エッセイ

2018-05-08
(第4124話)チョット中休み エッセイvol.133 とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(113)~存在意義を奪う拷問!?~

前回の続き。

「地球と良い関係を持ちながら、
正しく立てている人は『存在感』がある。
本人も、自分が存在していると自覚できる。
もっと言えば、
自分本来の『存在意義』を感じることができる」

・・・

「いいか?
これは、非常に大事なことなので、
もう一回、言っておこう。
人間は、正しく立つことで、
自分の『存在意義』を感じることができる。
・・・わかるかな?」

はい。
ただ、
「あぁ、そうなのだ」という感覚もあるのですが、
「ボス」が伝えたいことを的確に捉えているかどうかは、
正直・・・わかりません。
なぁんか、ボヤッとしています。

「そのようだね。
私が伝えたいのは、
『存在意義』というところだ。
では、聞いてみようか。
『存在意義』とは、何だ?」

自分が今、
ここで存在している意味や、価値・・・ですか?

「まぁ、そうだ。
それをどこに求めるか?
または、感じるか?
が、重要なのだ 」

あ、今・・・
関大の卒論で「アウシュビッツ」のことを扱った時に知った
「穴掘り拷問」のことを思い出しました。
ナチスドイツがユダヤ人に行った拷問です。
囚人に丸1日かけて、大きな穴を掘らせる。
次の日、その穴を埋めさせる。
そして、翌日、また、穴を掘り、また、埋める・・
その繰り返しをさせる拷問です。
何も意味を見出すことのできない過酷な労働が、永遠に続き、
その虚しさに、精神が破壊されていくという・・・
人間の「存在意義」を奪っていく特別な拷問だったそうです。

「では、
ゆるやかな拷問は、
今現代も、存在していることになるな・・・
しかも、
拷問であるとも、気づいていない。
また、
自分に対して、
自分が(拷問を)やっている・・・それにも気づいていない。
意味がわかるかな?」

自分で自分の存在意義を奪っているということですか?

「その通りだ。
これは、今の地球人に対しては、
厳しすぎる見方になるかもしれないが、
意味のない
『ルーティン・ワーク』をやっている者は、多いはずだ」

・・・

「その『ルーティン・ワーク』に嫌気がさし、
誰かに、
または、どこかに、
または、何かに、
新たな存在意義を見出そうと、
あがいても、上手くいかない・・・
そういう者も、多いはずだ」

そうですね。

「適職が、見つかったり、
自分の存在を認めてくれる人と、出会ったり、
自分を必要としてくれる場所に、移ったり、
自分ならではの、ポジションを知ったり・・
それでも、なぜか、
虚しさを感じてしまうと言う者も多いだろう」

そうですね。
だから、存在意義の重要性に気づいた人は、
職を転々としたり、付き合う人を変えたり、
環境を変化させたり・・・いろいろしていると思います。
自分の存在意義を求めて。

「だが、成功する確率はかなり低いのは、
周知の通りだ。
なぜだ、と思う?
なぜ、存在意義が満たされないのか?」

・・・

「自分は、誰かから、必要とされている実感、
何かに対して、貢献している実感
そういったものが、存在意義だと、思っているからだ」

え?

「厳しいようだが、
それもまた、ゆるい拷問なのだ・・・」

 

ミニ・ミニ ボイス

朝、スタジオで、
月例ワークショップで取り上げる
“クイック・ステップ”のリハをしました。

今回、ワークショップは、
「クイック・ファンデーション」
前回の続き・・・ではなく
先に、後半の高度なフィガー練習を行います。
難しいです(汗)
飛んだり、跳ねたり、走ったりです。

ちなみに、ショー・タイム用フィガーは、
4月にやったところまで。
「初夏神楽」での、初・披露を目指し、
大阪メンバー&東京メンバーの
足並みを揃えようという意図です。

それでも、難しいもんなぁ〜

さて、
ヒデくん到着!
いろいろ、報告を受けました。
考えること、いっぱいです。
ふ〜。

ミキヒコさんは、大阪へ。
お疲れさん。

なぁんか、東京、寒いです。
え?
明日、もっと寒いの?
やだぁ。

 

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2018-05-08 | Posted in エッセイNo Comments » 
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