エッセイ
2016-10-06(第3544話)チョット中休み エッセイvol.126 東京教室開校!(6)~遺産が形に〜
第31回 読者限定ワークショップの詳しい情報は、
コチラへどうぞ
すみません。
東京教室開校の報告、少し長くなっております(汗)
後半、東京及び大阪教室のレッスン等についても
触れていきますので、
まんま読み続けていただければ幸いです。
リポーター
「あのぉ、こんなこと伺って良いのかどうか・・・
経理上のことは、大丈夫なのですか?」
ジュンコ先生
「大丈夫では、ないです(笑)
会社の現状を考えると、ありえない話です。
3人とも、給料もまともにない状態が、
続いていますから」
リポーター
「え?それでは、物件なんて、
借りれないのではないですか?
入居審査が通らないとか」
ミキヒコ
「それが・・・(入居審査は)
なぜか、あっさりと通ってしまいました」
リポーター
「でも、借りるとなったら、
お金がそれなりに要りますよね?
内装費も、かなりかかるのではないのですか?」
ヒデ
「かかります。
床、鏡、トイレ、更衣室、天窓、防音設備・・
モロモロ、全部やりますんで」
リポーター
「どこからお金が?借りるとか?」
ミキヒコ
「それも、無理な状況なのです(苦笑)」
リポーター
「えぇ?それじゃぁ、一体??」
ジュンコ先生
「開校準備金だけは、アルのです。
両親の遺産です・・・」
リポーター
「まぁ!!」
ジュンコ先生
「しかも、莫大な遺産ではなく、
程良い遺産で(笑)
開校準備金として、
ほぼジャストな金額、かな。
これがなかったら、
東京教室は、ありえませんでした」
リポーター
「なんと、言ったらいいのでしょう・・・感動、しています。
すごい話ですね」
ジュンコ先生
「そうですね。
父か母、どちらか一方だけでも生きていたら、
遺産なんてないわけで。
母が生きていたら、
介護費用で消えていたと思います」
ヒデ
「ホンマ、少しでもお金を残そうとしてくれたとしか、
思われへん」
ジュンコ先生
「そうなのです。
オーナーさんとの面談を終えた日の、帰りの新幹線で、
父と母が亡くなったときのブログを読み返していたんです。
色んなシーンがリアルに思い出されました。
父のカラダが治療を拒否、
死ぬことを望んでいたようだったと、
ヒロコから聞いたこと
『お父さん、手伝ってね、応援してね』
というワタシの声に、
危篤状態の父がしっかり反応したこと
母が急変し、父と同じ病院に入院してきたこと
一緒に棺桶を並べて逝ったこと・・
改めて見直すと、両親の死は、当時想像した以上に、
深い意味があったように思えました。
今、ヒデくんが言ってくれたように、
父と母は“その”ために、
連れ立って亡くなったんじゃないか。
二人の娘、
そして息子の『応援団』に、少しでも早くなるために、
そして、少しでも多く、遺産を残すために」
ヒデ
「最近、よく、ジュンコ先生のご両親のことが、
頭に浮かんでいました。
なんでかな?と思っていたのですが、
今回のことで合点がいきました」
ジュンコ先生
「神楽坂は、父も母も、
大好きだろうな〜という雰囲気なのです。
家族でよくお参りしていた“石切神社”を想起させる・・・」
リポーター
「ご両親が一緒に探してくださっていたのでしょうね」
ヒデ
「そう思うわ。
僕ら3人共に、気に入って、
力の出せる場所を探してくれてたんやなぁと」
ジュンコ先生
「実家の遺産は、ほとんど土地のみ、なのです。
ところが、土地以外に少しの預貯金があることがわかりました。
それを話し合って分けたのが、今回の遺産です。
『もし東京に教室を開く時が来たら、使わせてもらうわ』
と、ヒロコに言いました。
すると、
『それは良い!!
お父さんもお母さんも、ものすごく、喜ぶと思う』
ヒロコが、あまりにも嬉しそうなので、理由を聞くと、
『お父さんもお母さんも、
ジュンコの仕事のこと、誇りに思っていたんや。
会ったら、いっつも、私に言うてたよ。
ジュンコは、まず、仕事だから。
ジュンコには、大切な仕事があるから・・・』
あぁ、わかってくれていたんだなぁと、
嬉しくて、涙が出ました」
リポーター
「良かったですねぇ。
ジュンコ先生のご両親の愛が、
フロアーになって、
鏡になって、天窓になって・・
素晴らしい教室になるでしょうねぇ」
ヒデ
「ホンマ、ありがたく使わしていただきます」
ミニ・ミニ ボイス
“東京”ラテン専科終了!
両手を合わせて、エメルギーを感じ合う・・・
龍游功感覚の(!?)リード&フォロ〜を伝えました。
ビックリ!一気に高レベルのダンスになりました。
拍手!
でも、こーいうレッスンが理解できる皆さん、
ほんま、スゴイよね!
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