社交ダンスを教えるということ

2017-05-12
(第3762話)社交ダンスを教えるということ vol.15 実学・教師を育てる(6)~ポイで逃げ腰、弱気な教師~ 

ワタシは大学を卒業してすぐ、
22歳の時から「ダンス教師」という名の“教職”に就いている。
教職は、言い換えれば「教育職」
つまり、
「人に教え、人を育てる、仕事」
だよね。
でも、かつてのワタシは、
“教える”ことはできても
“育てる”ことはできなかった。

競技選手の頃は、
教師活動より選手活動が主体だから、
自分のことで必死。
だもんで「人を育てる」なんて、
できるはずもなく・・・で当然よ。
ところが、教師活動に専念するようになってからも、
やっぱ、無理だった。

社交ダンスを教えた経験があって
「生徒さんになんとかうまくなってもらおう」
ちょっとでも“本気”で取り組んだことのある人なら、
わかると思うんだけど
社交ダンスって、
ダンス・テクニックだけを教えていたら、それで良し!
では決してないんだな。
人の持つ様々な面が、
社交ダンスというものに表れるんだもの。
カラダだけでなくココロも、一緒に“再教育”しないと、
本当の意味で上手くはならないってもん。
思うに、社交ダンスは、
人間を成長させる優れたアイテムであるが、
その反面、も、大いにある。
だからこそ、教師がしっかりしていないと、
あぁ、残念なことになっちゃう・・・

ソンナコンナに気づいていたワタシは、
良い教師でありたいと、頑張っていた。
当時から「本質を伝える流儀」であったため、表面上は
「教育者・ポイ」ことは、できていたかもしれない。
でも、所詮、ポイはポイ。
本物ではない・・・

本物ではない証拠に、
こういった類の言葉は、どーしても言えなかった。

「お任せください」
「しっかり、ついてきてください」

ただし、コレは、
「最終的には、我が道しかない。
だから、ついてこなくてよろしい」
みたいな高尚な想いであったから、ではなく。
単に、自信がなかったから(汗)
もっといえば、
「責任は負えないので、ゴメンね」
って感じ。

また、生徒さんから
「ダンス・人生」においての
色々な相談を持ちかけられることも、多々あったが、

「これをやりなさい」
「これをやってはいけません」

といった方向をクリアに示すことができなかった。

そんでもって、
「あ、こら、あかんわ」
というシーンで、
ちゃんと注意したり、叱ったりすることができなかった。
レッスン中
「教えるスイッチ」が入っている時に、
偉そうに諭す(さとす)ことはできた。
が、
対・人間同士として、
本当に向き合わなければいけないという場面になると、
途端に弱くなった。

「まぁ、いいか・・・
人、それぞれだし」

ココロを止め、うやむやにし、対立を避けた。

おまけに、
ダンス力
指導力
コミュニケーション力
人間力・・
あらゆるものに、自信がなかったため、
「良いか悪いか?
どこに判断基準をおけば良いんだろう?」
しょっちゅう、悩んでいた。

「人を育てることのできる教師」に憧れながらも、
正直
「人を育てる」
なぁんて、わからない、
自分には難しすぎると感じていた。
が、
ダンサーよりも、教師への比重が圧倒的に多くなるにつれ、
「人を育てるって、どーすりゃいいの!?」
といった、悩みは、ダンス・スキルの悩み以上に、
深くなっていった・・・

今から思うに、
あのまんま=ポイで逃げ腰、弱気な教師じゃ、
ブログも
ワークショップも
“東京”も、ありえなかったよなぁ。

ソンナコンナなワタシの前に、
突如、現れたのが、
ヒデ君だったのだ・・・

 

ミニ・ミニ ボイス

肥後橋・練習会、無事終了の連絡あり。
ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

ミキヒコさんの元気そうな声を聴き、
ほっ・・・
実は、ミキヒコさんにとって、
この日の練習会はスペシャルなものだったんだ。
ご家族のことで、色々あってね。
「人生の転機」
とはわかっていても、ものすごくつらかったろう。

ウチらは、遠くから
「ミキヒコ、ガンバレ」
エールを送るしかなかった。
練習会・参加者の皆さんの存在が、
どれほどミキヒコさんの支えになったことか・・・

「たくさんのパワーをいただきました。
本当に、ありがとうございました」
BY ミキヒコ

11日は、ミキヒコさんも“東京”入りだ。

待ってるよ。

 

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