社交ダンスを教えるということ
2017-05-17(第3767話)社交ダンスを教えるということ vol.15 実学・教師を育てる(11)~存在の変化は難しい~
前回の続き。
存在に対する教育は「手取り・足取り」するべき。
一方
行動に対する教育は「手取り・足取り」ではなく、
本人に、任せる、見守る・・といったやり方が良い。
(第3766話参照)
てな、お話をさせてもらった。
まずは、知っておいてほしいこと・・・
人がホンキで、
「変わりたい」
という場合、
行動のことではなく存在のことを言っている。
ただ、
存在を変えることは、非常に難しい。
「本来の自己」
と、
「嘘の自己」
とが、一体化してしまっているからだ。
ところが、
観察すれば、観えてくる・・・
「本来の自己」と「嘘の自己」の間にある
スキマが。
実は「本来の自己」と「嘘の自己」は、
完全な一体には、なりきれていない。
その微妙な誤差が、
「なーんか、変だなぁ」
「どこか、ズレているなぁ」
「うそっポイなぁ」
といった「違和感」となり、
現れているものなのだ。
「違和感」は、普段の言動に乗っかって表出するため、
普段の言動に対する違和感を、
見逃さず、キャッチし、
そこに、変化、矯正を加えることで、
存在を変えることは可能だ。
「今の自分を変えたい」
という気持ちがあるなら、絶対変わる。
「更生」は、できるものなのだ。
が、
自分では、なかなか、自分の「違和感」に、
気が付かない・・・
ここが、大きなポイントだ。
気がつかないから、捉えられない。
捉えなかったら、変えようがない。
また、運良く捉えることができても・・・
先にはなかなか、いけない。
「自分のことはよく分からない」からだ。
なので「師」が要るのだ。
その「師」とは
親
上司
もちろん、夫、妻であってもOKだ。
とにかく、
存在の教育には、
愛ある「師」の「手取り、足取り」が、
必要なのだ・・・
おわかりいただけたかな?
ん?
イマイチ、ピンと来ない?
存在に対する教育
行動に対する教育
その違いも、よくわかんない?
OK
この辺り、すごーく大事なことであり
ブログを読んでくれているであろう、
ユニバーサル・ダンス教師の方々にも、
ぜひ、伝えたいことなので、
次回より
霧島エレナちゃんとの対談で、お話を進めていこう。
ミニ・ミニ ボイス
「主」に会いに行って良かった。
迷路を抜け出すための指針・・・
これだ!という言葉に出会ったのだ。
「小我・凡我を脱却し、真我に目覚める」
気持ちは、決まった・・・
変革は形になっていくだろう。
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