another point of view
2016-04-27(第3382話)another point of view vol.5 敬老学(8)~高齢者という存在だけで、尊敬に価する〜
ジュンコ先生と絆音(くれな)ちゃんの対談
テーマ
「敬老学・入門」
続きです。
ジュンコ先生
「40歳までは、時間が支配する物質空間を
十分に楽しんで自我を満喫する。
その後、反転し、エネルギーの世界観に移行する。
老いると共に、エネルギー的成長は続くのよ」
絆音
「エネルギー的成長?
そういえば、以前、
合気道の世界の達人というおじいちゃんが、
若い弟子を、ボーンボーン投げ飛ばしている映像を
観たことがありますが、そういったものですか?」
ジュンコ先生
「そうね。
それも、そのエネルギー的成長の現れの一環ね。
老いるに従い、エネルギー化する、
それは、すなわち、赤子の状態に戻ることでもあるのよ。
幼子と老人は、ある意味、一緒なの。
物質よりもエネルギーに近い状態なのよ。
言っている意味、わかるかしら?」
絆音
「はい。
なぁんか、わかるような気もします」
ジュンコ先生
「日本の神道では『老い』は、
人が神に近づく状態と言われているのよ。
高年齢者は、神の最短距離にいる
『翁(おきな)』(老人を敬っていう言葉)
また幼子は『童』と呼ばれて、神の子と言われるの。
つまり、人生の両端にあたる高齢者と幼子が神に近く、
そのあいだが人間、なの」
絆音
「おもしろいなぁ。
でも、神に近い存在なら、
それだけで、価値がありますね」
ジュンコ先生
「そうね。
本来、日本では、高齢者は、
高齢者という存在だけで、
尊敬に価するものであったのよ」
絆音
「その、40歳からは状態が変わって、
物質優先からエネルギー優先になるって、
全ての人に自動的に行われているのですか?」
ジュンコ先生
「ええそうよ。
人体に備わっているシステムだから」
絆音
「でもぉ〜、そんなこと、
知らない人の方が大半でしょ?
知らないから、
物質優先の状態にしがみつこうとする。
若い頃と同じように、何かをやろうとして、失敗し、
『あぁ、老いてしまった』と、
悲しんだり、嘆いたり、若い世代と、
張り合ってしまったり・・・
そういうことって、いーっぱいある!
特に、
スポーツの世界や、美しさを競う世界では、
同じ土俵で張り合ってしまう。
若い人の方が優位で、老いると残念って感じ・・・」
ジュンコ先生
「そうね。
社交ダンスの世界でも、
『状態のシフト』が上手くいかない人を、
たくさん観てきたわ。
社交ダンスは、老若男女、一緒にデキル良さがある。
でもね、その反面もあるわ。
とりわけ、競技ダンスになると、
良さが裏目に出ることが多い。
若い年代が、老人を敬う世界観で、なくなるの。
それぞれの年代の、いやらしさが表出したり、
ぶつかり合ったりすることもシバシバ。
ダンスを伝えるプロとしての苦しみは、
そういうところにもあったの。
それで、色々、勉強したのよ」
絆音
「それが『敬老学』につながった?」
ジュンコ先生
「まぁ、そうね。
社交ダンスを教えることに携わっていたからこそ、
学びを得たことは多いわ。
さっきの話なんだけど、
なぜ、
なぜ、人体システムとして備わっているのに、
物質中心からエネルギー中心へのシフト・チェンジが、
上手くできないのか?
わかったことがあるの・・・」
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