エッセイ

2018-03-20
(第4075話)チョット中休み エッセイvol.133 とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(72)~コンプレックスは問題解決への意欲の源~

前回
「数々のコンプレックスのおかげで、
ワタシは、成り立っている」

「コンプレックスがなくなると、
社交ダンス教師 ジュンコ先生の価値も、なくなる」
とは、どういうことなのかの説明を行ったが、
もうチョイ続きがあるので、聞いてほしい。

ワタシは、
潜在化されていたコンプレックスが出てきて、
ホンマ、良かったな、と、思っている。
また、こんなにも(コンプレックスが)たくさんあって、
しかも、
「こりゃぁ、大変だな、複雑だな・・・」
てなものばかりで、ラッキーだったな、とも。
おかげで、
ワタシのコンプレックスは、
誰かのコンプレックスであることが、ほとんどなのだ。
全く一緒ではなくとも、共通はある。
なので、
ワタシは、人類共通のコンプレックス
ほぼ網羅することができているとも言える。
これが、
どんなに「相手の理解」に役立つか・・・
また、
教師としての活動である「人を導くこと」に役立つか・・・

コンプレックスは「問題であり疑問」だ。
それ、すなわち
人・体や人・生に対する「問題・疑問」であることが圧倒的だ。
ゆえに、人は、
同じようなコンプレックスを抱いているもの・・・

ワタシは、知った。
そういったコンプレックス解決することこそが、
「自分のやりたいこと」だと。
コンプレックスは、問題であり疑問だが、
見方を変えれば、
それそのものが、
問題・疑問を解決していく「意欲の源」ともなる・・・

「ダンスコンプレックス」を例にとって見てみよう。

「ダンスコンプレックス」は、
「ワタシは、踊れない」
という問題であり
「なぜ、踊れないの?」
という疑問だ。
でも、そこから
「どうしたら、踊れるだろう!?」
という解決意欲が湧き、
「こうすれば、踊れるんだ!」
という解決への道へと向かう。
そして、
「ワタシは、踊れる!」
瞬間がやってくる。
これは、
「ワタシは、踊れない」
を知っているからこその「喜び」だ。

上記のセンテンス
「数々のコンプレックスのおかげで、
ワタシは、成り立っている」
「コンプレックスがなくなると、
社交ダンス教師 ジュンコ先生の価値も、なくなる」
を、以下のように、表現し直してみよう。

「数々の問題・疑問のおかげで、解決意欲が湧いてくる。
それで、ワタシは、成り立っている」

「問題・疑問がなくなると、解決する必要もなくなる。
『快刀乱麻 クリニック』
院長  社交ダンス教師  ジュンコ先生の存在意義はなくなる」

 

ミニ・ミニ ボイス

神楽坂
冷たい雨です。
寒いです。

でも「203」は、暖かいです。
お風呂に入ることもできます。
夢のようです。
ありがたいです。
その上
メッチャ、静かです。
仕事、はかどります。

すべて、うまくいってます。
恐ろしいほどに・・・

 

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2018-03-20 | Posted in エッセイNo Comments » 
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