エッセイ

2018-03-18
(第4073話)チョット中休み エッセイvol.133 とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(70)~劣等コンプレックスのおかげで成り立っている~

前回の続き。

ワタシが持っている数々のコンプレックスは、
「克服し、今や、過去のモンとなっている」
でのはなく「今、現在」も、しっかり、継続中だ。

ただ“変化”は、した。
が、一般的に言う「克服」は、していない。
つまり、コンプレックスがなくなったのではなく、
コンプレックスを乗り越えたのでもなく、
コンプレックス自体が、自動的に、変化し、変容したのだ。
強調したいのは、
(頑張ってor無理やり)変化させたのではなく
「自動的に」というところ。
そして、変化するに“任せた”というところだ。
すると、変容にいたった。

今から思うに、
この辺りは
ズバリ!
「ウォーク・イン」の副産物。
というか、これらひっくるめての
「ウォーク・イン」なんだろうけどね・・・

さて、変化と変容の違いを言っておこう。
変容は「後戻りできないこと」
変化は「戻ることができる」

ってことで・・・
ワタシのコンプレックスは、変化し、
形・有様が変わっちゃったんだ。
元の形・有様には、戻らなくなった。
で、「変容状態」のまんま、「今、現在」も、
しっかり、継続中というわけ。
そして、今や、
その数々のコンプレックスの「おかげ」で、
ワタシは、成り立っている。
言い換えれば、
コンプレックスがなくなると、
社交ダンス教師 ジュンコ先生の価値も、なくなる・・・

え!?
わからなくなってきた!??!
そもそも、コンプレックスって、何だったっけ?

という方へ、伝えておこう。

英語解釈の「コンプレックス」とは、
「いろいろな要素がたくさんある」という意味。
心理学的には、大雑把に言えば、
「複合の感情」ってもん。
が、一般的なジャパニーズ解釈とは、チョッと異なるわけだ。
我々が、ふつーに言うコンプレックスとは
正しくは
「インフェリオリティー・コンプレックス=劣等コンプレックス」
と言うそうな。
で、今、ここで扱っている概念も同じく
「インフェリオリティー・コンプレックス=劣等コンプレックス」だ。
つまり、
コンプレックスとは、
劣等感
自己肯定の欠如
と同義だ。

「じゃぁ、
ジュンコ先生は“劣等感”のおかげで成り立っていて、
“劣等感”がなくなると、
ジュンコ先生の価値もなくなるって、言っているの??
やっぱ、意味がわからない」

そうね。
ちょっと、わかりにくいだろうね。
第一、
ジュンコ先生が、
そんなコンプレックスたくさん抱えているなんて、
信じられない・・・という方もいるかもしれない(苦笑)

「劣等感が、変化、変容して、
形、有様が変わっちゃった」
というあたりも含めて
ムッチャ大事な話・・・
もっと言えば
「メッセージ」なので、次回に、じっくりお話しよう。

 

ミニ・ミニ ボイス

“大阪”100プラ終了!

イイ練習会だったねぇ〜
みんなカラダが出来て来たねぇ〜
実力、ついたねぇ〜
ってことが、
ラスト・ダンスの
「カンタービレ・ワルツ」の様子で、わかったよ。
いきなり踊ったのに
「しっとり、優雅、イイ感じ」で、驚きました。

カタチから入っていない“スタンダード”が
「美・シェイプ」になってきた・・・
これって、スゴイことよ!
ホンマ、ありがとう。

 

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2018-03-18 | Posted in エッセイNo Comments » 
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