社交ダンスを教えるということ
2017-05-10(第3760話)社交ダンスを教えるということ vol.15 実学・教師を育てる(4)~「手取り・足取り」否定論~
「手取り・足取り」の、辞書的な意味は、
細かいところまで行き届いた指導をすること
ちゃんと相手が理解できるように、丁寧に教えること
こう見た限りでは、
「手取り・足取り」は、決して悪い感覚ではない。
が、実際の「教育」の現場では、
「手取り・足取り」は、良くないと言う傾向がある。
理由
その1
指導を受けた相手が、わかったつもりになってしまい、
自分で考えなくなってしまう。
その結果、教えられた通りしか対応できなくなってしまう。
その2
失敗を未然に防いでしまうため、失敗から学べない。
また、失敗に耐える力が養われない。
その3
自分で考える前に、答えを知りたがるようになる。
まとめると、
「手取り・足取り」方式では、
実学(実際に役に立つ)としての強さを
身につけることができない・・・
言い換えれば、
ちゃんとした「自立」できないって意見だろう。
なるほど、納得という感じではあるね。
ワタシ思うに、
家庭も、立派な「教育の現場」だ。
そこでも、同じように
「手取り・足取り」は、
良くないと言う傾向が、見受けられる。
とはいえ、もちろん、赤ん坊の時は別。
ある意味「手取り・足取り」対応しないと、
どーにもならないってことは、
理屈抜きで、分かるものだ。
だから、親はためらわずに、
「手取り・足取り」面倒をみる。
問題は、ある程度の「自立」を、
要する年齢に差し掛かった辺りの話だ。
「手取り・足取り」は、良くないだろうと、方向を変える。
一気に(手取り・足取り)
しなくなる傾向があるように思うんだ。
理由としては・・・
その1
もう、良い年した大人なんだから。
自分でできることは、自分でやらないとダメ。
その2
親が干渉することではない。
自分で考えて、生きて行く力をつけて欲しい。
その3
答えを知りたがる、安易な人間になっては困るから。
こちらも、
フムフム、そりゃぁ、そうだ・・・かもしれないね。
が、ワタシは、この辺りに危険を感じるんだ。
キビシー言葉をあえて使うなら
先生や上司、先輩や親の「逃げ、怠慢」を感じるわけ。
上記、辞書的意味の
「手取り・足取り」の意味をもう一度、みてみよう。
細かいところまで行き届いた指導をする
ちゃんと相手が理解できるように、丁寧に教えること
先生から生徒へ
上司から部下へ
先輩から後輩へ
親から子供へ
これ、ホンマは、必要なんじゃないかなぁ〜って、
感じている人は多いと思うんだ。
でも、
正しくできないから「手取り・足取り」しない。
言い換えれば、
ちゃーんと、正しくできるなら
「手取り・足取り」するだろうと思うわけ。
で、ちゃーんと、正しく「手取り・足取り」したならば
「手取り・足取り」方式では、
実学(実際に役に立つ)としての強さを
身につけることができない、なぁんて、思わなくなる。
相手の「真の自立」のためには、
絶対やるべき「神聖な行為」だったとわかるんだ・・・
ミニ・ミニ ボイス
認知症のご老人とのダンスで、
改めて発見したこと・・・
背骨が変わると、人との向き合い方が変わる。
背骨の状態が良いと、
意識的に「やる」ことが、極端に減り、
自動的に「なる」ことが、多くなる。
人体って、ほんま、すごい・・・
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