エッセイ

2021-07-17
(第5290話)チョット中休み エッセイvol.137 続・とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(371)~春の歌 翻訳2〜

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存在たちからの、楽曲・ギフト第2弾
春の歌
トランスレーション(翻訳)続き。

これからの、トランスレーション(翻訳)は
ワタシ以外の、例えば、ユニバーサル・ダンス教師の方々へも、
十分、当てはまる内容。
うまく受け取っていただければ、
めっちゃ強力な応援メッセージとなるだろうね。

平気な顔でかなり無理してたこと
叫びたいのに懸命に微笑んだこと
朝の光にさらされていく

「平気な顔でかなり無理してたこと
叫びたいのに懸命に微笑んだこと」
思っていること、言っていること、やっていることが、
ナチュラルにつながっていない自分を指す。
他者に嫌われないよう、取り繕い、
自分を大切にできなかった人生・・・
素直、無邪気は、影を潜めたままだ。
複雑、ゆがんだ自分を演出している間に、
ホントーの、自分の気持ち?
ホントーに、言いたいこと? やりたいこと?
ソンナコンナが、わからなくなってしまった状態を指す。

「朝の光にさらされていく」
隠していた自分は、すべて、明るみにさらされる、
つまり
潜在意識、阿頼耶識に閉じ込めていた自分は、
すべて、表出するという意味。

「朝の光」
朝の光は、浄化作用が強い。
ゆえに、潜在意識、阿頼耶識に閉じ込めていた自分は、
表に晒される(さらされる)ことで、
ようやく浄化できる。
禊(みそぎ)ができるということ。
また、そうせざるを得ない時代に突入したぞ、と言う意味でもある。

忘れかけた 本当は忘れたくない
君の名をなぞる

浄化、禊(みそぎ)が、進み
潜在意識、阿頼耶識のクリーニングができるにつれ、
“君”と出会うことができる。
さぁて、この君とは、誰?

「忘れかけた 本当は忘れたくない」
それは、個々の守護指導霊(神)および、霊的存在たちだ。
ワタシにとっては、ユートピア・ファミリーだ(苦笑)
又の名、組織・バサラの面々。
および、それら“霊的仲間たち”と一緒に作り上げた
「人生の計画書」を指す。
そこには、
「真の目的=使命」が、書かれている。

禊がれていない自分、頑固、頑なな自分は、
ソンナコンナとの出会いを避け、否定する傾向にある。
または、すごく、出会いたいのに、
知らず知らず、反対の言動を取ってしまう。
「自分には、そういう存在など、いない」
と、諦め、卑屈になり、独りよがりの言動をとり続ける。
そんな存在のことなど、忘れかけてしまっている状態を、
わざわざ、作ろうとする。
本当は、絶対に、忘れたくないのに・・・だ。

「君の名をなぞる」
“なぞる”という言葉が、ポイント。
なぞるとは
すでにかかれた文字や絵などの上をたどって、
その通りに書くとか再現するという意味。

“霊的仲間たち”は
生きている人間が、いくら否定しても、
嫌がっても、決して消えるものではない。
人間側の都合にかかわらず、
ずーっと、見守り続けてくれている。
つまり、“霊的仲間たち”とは、
頑張って出会っていくものではなく、
すでに“ある”のだ。
同じく「計画書」も、
名前や生年月日に刻印されていることもあり、
決して忘れさされるものではなく、
常に“ある”
ということで、
「君の名をなぞる」
とは、すでに “ある”ものに対し、再現すること。
つまり、
忘れていた“霊的仲間たち”や「人生の計画書」を 思い出すこと。
言い換えれば
目覚めること、覚醒することを指す。

春の歌 愛も希望もつくりはじめる
遮るな 何処までも続くこの道を

「春の歌」は、一陽来復。
一陽来復は、
「バサラ計画が、長い準備期間を経て、
ようやく、活動期に入ると言う宣言」
なりたい自分を明らかにすること
(第5289話参照)
こうすることによって、新時代に向けての、
愛や希望を作り始めることができる。

「遮るな 何処までも続くこの道を」
小さな自我で、
遮ってはいけない!
阻んではいけない!
この使命の道を・・・
「わかった。そうする」
と、心に決めても、
知らず知らず、遮ったり、
阻んだり・・すぐに、小さな自分に戻ってしまう。
そうならないためには、どうしたら良いのか?
答えが、次。

歩いていくよ サルのままで孤り
幻じゃなく 歩いていく

「サルのままで」
サルとは、面白い比喩だね(笑)
でも、これ、花丸ポイントだよ。
「サル」
とは、
「自我の“脳みそ”を使わず、
もっと、プリミティブ(原始的)本能的に生きよ」
という意味。
ともすれば、知識に頼り、
いらない先入観を自ら植え、自らの自由を奪う
傾向にある現代人。
“霊的仲間たち”や「人生の計画書」と、
関係を持ち、発展させていくには、
「サルのままで」いる必要がある。
考えるより、感じろ!
感覚、直感を磨き続けろ!という意味でもある。

「孤り」
“独り”ではなく“孤り”という漢字を使っているところが、ポイント。
“独り”は、精神的。
“孤り”は、物理的。
つまり、
使命の道を、歩いている自分は、
物理的には(見た目には)人間一人だけだ。
が、しかし、本当は“霊的仲間たち”と共に、
霊的進化の道を歩んでいっている。
霊的進化の道は、ある意味“孤独な作業”なのだ。
人間自分が、たった“孤り(ひとり)”で行うものなのだ。
言い換えれば、
「サルのままで孤り」
自分一人で、自分自身を感じ続け、
直感に従って生きる状態になることで、
ようやく“霊的仲間たち”とつながることができ、
「幻じゃなく 歩いていく」
これが、可能となる。
“霊的仲間たち”との交信、交流、
および、そこで繰り広げられる活動の全てが、
が、夢、幻ではなくなるのだ。
ずーっと続く、実践的な道となるのだ。

歩いていくよ サルのままで孤り
幻じゃなく 歩いていく

ワタシにとっては、バサラ計画を、実行、現実化の道を
“霊的仲間たち”と一緒に、
歩み続けるための、基礎的考え方となる。

春の歌 愛と希望より前に響く
聞こえるか?遠い空に映る君にも
前回翻訳済み
春の歌 愛も希望もつくりはじめる
遮るな 何処までも続くこの道を
上記翻訳済み

ふー。
一気に、やったぞ。
どうかな?
あなたにヒットする、翻訳、あったかな?

 

ミニ・ミニ ボイス

本日“肥後橋”100プラです。
ご参加くださる皆さん、ありがとうございます。
翌日の“夏祭り”に向けて、大練習会ダァ!
神楽坂メンバーも、たくさん来てくれるもんね。
エレナちゃん、大はしゃぎ。
「夏祭りの、リハ、やりまくるんですっ。
っていうか、
2日続けての“祭り”なんですっ。
ワイワイ、ワッショイなんですっ」

一応、レッスンは、ジュンコ先生担当ですが(苦笑)
お久しぶりの“お帰り”メンバーあり
東・西教師 総出演
“肥後橋”教室、初登場のメンバーあり
しかも、
新時代へ向けての記念すべき100プラ&夏祭り・・・
どーなりますやら。
楽しみに!

 

 

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2021-07-17 | Posted in エッセイNo Comments » 
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