エッセイ

2021-06-21
(第5264話)チョット中休み エッセイvol.137 続・とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(347)~罪悪感と無価値感を感覚、カラダ現象として扱う〜

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「封印を解く」
ボスとの対談、続きです。

罪悪感と無価値感
DNAレベルの封印が原因で、
こう言った感情が生まれるとは・・・深いですね。

「感情ではなく、感覚だ」

え?
罪悪感と無価値感って、感情ではなく、感覚なのですか?

「正確には、罪悪感と無価値感は、感情でもある。
つまり、どちらもあるのだ。
だが、感情ではなく、
感覚だと認識したほうが、扱いやすい」

それは、ココロよりカラダの方が、
扱いやすいということですか?

「そうだ」

なるほど、面白いですね。

「今の『面白い』は、感情だね。
でも、同時に、カラダ感覚もあるだろう?」

あります。
胸が、フワッって広がる感じです。

「そう。それは、感覚だね。
つまり、感情が湧く時には、同時に、感覚も湧いている。
ただ、感情に気を取られ、意識を奪われ、
感覚があることに気がついていないことが
ほとんどだ。
というようなことは、ダンスで体験済みなはずだ」

そうですね。
「あぁしなきゃ、こうしなきゃ」
と言ったヤロウ、やろうという焦りの感情や
「相手にどう思われているかな?」
「うまく踊れるかな?」
不安な感情に支配されているときは、
正しく感覚を捉えることができません。

「そうだね。
感情的に踊る人と、感情を捉えながらも、
そのエネルギーを感覚に昇華したダンスは
別物のはずだ」

確かに、そうです。
でも、感情エネルギーを感覚エネルギーに昇華するって、
かなり、高度ですが・・・

「うむ。
一応、感情は、ココロ、感覚は、カラダの管轄だ。
罪悪感も無価値感も、感覚で捉えると、
カラダでの現れが見えてくる。
姿勢や、歩行という現象として。
罪悪感がある者は、そのような姿勢、歩行
無価値感がある者は、そのような姿勢、歩行をやっている。
もちろん、社交ダンスに中でも、
罪悪感、無価値感は、現れる・・・
こう言ったことも、ジュンコなら、わかるだろう?」

わかります。
ボスのおっしゃりたいことが、わかってきました。
罪悪感も無価値感も、カラダ現象として扱い、改善を促す。
結果、罪悪感や無価値感を、手放すことができる・・・
こういったことが「封印を解除する」ワタシの任務ですね。

「残念だなぁ」

え?
違うのですか?

「罪悪感や無価値感を手放せとは、言っていない。
封印を解くのが、仕事だよ、とは言ったけれどね」

え?

 

ミニ・ミニ ボイス

ビギナークラス終了!
ご参加下さった皆さん、ありがとうございます。

大はしゃぎなのに “ご機嫌ななめ”な、
エレナちゃん、大暴れ。
ダンスとともに、
新作re-Treat(リトリート)が、次々と
飛び出しました。

音楽体操・・・それは、
新時代の“治療”でもある。
ここんところ、教師の方々、お忘れなく、です!!
ふー。
ヒデ先生、連チャンふるまい料理人で、
大変な中、お疲れさん。

さて、
非常に重要な、供養&ふるまいの仕事が、
この後、ひかえています。
「信じるか、信じないかは、アナタ次第です」
というエリアを、あっさり、突き抜けつつあります。
今までの全てが、この仕事のためにあったのだ・・・
と、受け入れ、やります!

 

 

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2021-06-21 | Posted in エッセイNo Comments » 
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