エッセイ

2020-07-23
(第4931話)チョット中休み エッセイvol.137 続・とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(179)~感謝できない人。~

「快刀乱麻ワークショップ」の詳しい情報は、

コチラへどうぞ

 

前回の続き。

感謝は、愛よりも、人間にとっては、わかりやすく、学び良い。
だもんで、
みんなぁ、
「感謝のできる人」
になろうよ。

でも「感謝のできる人」になるには、
心してかからないと、ダメだよ。
人間にとって、感謝するって、簡単なことではないんだから。
だってね、
「感謝のできる人」
は、意外なくらい、少ない。
反対に
「感謝のできない人」
は、意外に、メッチャ多い!?
残念なことに、高次元の存在から見れば、
世の中「感謝ができない人」で、溢れかえっているそうな・・・

さて、ここで、質問だ。
「感謝のできない人」
には、共通の特徴が見受けられるんだ。

“あるモノ”が、足りない。

“あるモノ”とは、何だろう?

ヒントは
漢字3文字。
最後の漢字が「心」だよ。

答えは
自尊心

そう
「感謝のできない人」は “自尊心の欠如”が、特徴。

「自分なんて・・・」
「どうせ・・・」
ソンナコンナが心・口癖の、自己卑下人間なのダァ!

どー言うことか、解説しよう。
感謝の気持ちを持つには、
贈り物(ギフト)に、気づかねばならない。
自分に対し、贈り物(ギフト)があったことを、
認知しなければならない。
ところが、自尊心が欠如している人は、
贈り物(ギフト)に、気づかない、
認知できないんだ。
なぜなら
自分への贈り物(ギフト)であると、思えないから・・・
「自分は、ギフトを受け取る価値のない人間だ」
と、潜在的に刷り込んでしまっているからなのだ。

ワタシ思うに、
感謝って、贈り物=ギフトを受け取ったことへの、
いわば、反応、
もっと言えば
反射、だ。
うれしくて、
ありがたくて、
自然に口から
「ありがとうございます」
と、出て行ってしまうものなのだ。
ところが、自尊心が欠如している、自己卑下人間は
この“素直さ”が、基本、ない。
だから
頭で、
「感謝すべきか?
どうか?」
「感謝を言動で表すべきか?
どうか?」
「感謝すると、かえって、迷惑がかかるのではないか?」
「感謝すると、変に思われるのではないか?」
など、あーだのこーだの考え、
結局は
「感謝をしない」選択をしてしまう・・・

ホンマ、もったいないわ。

自分のことかも!?と思った人へ、提言。

自尊心の欠如からくる「感謝できない人」から脱却するには、
感謝って、まずは
「質より、数」
だってこと、知っていてほしい。
たくさん、感謝をすることで、
スワディシュターナの状態が変化。
波動が徐々に変化してきて
感謝モードに入りやすくなるってことも、大いにあるからね。

もっとも簡単な方法は
「ありがとうございます」
と言葉にすることだ。
「ありがとうございます」
を口にするために、
どんなときも、どんな事態、どんな相手に対しても
「何か、感謝できないかな?」
と、感謝のしどころを、探すんだ。
で、見つかり次第、
いや、究極、見つからなくてもイイ(汗)
「ありがとうございます」
と、口にする。
声に出すのが、ポイントだ。
また、感謝の想いを、なんらかの態度で示すことも大事。
とにかく、言動で、感謝を示すべき。

ぜひ、実践してみてね。

 

ミニ・ミニ ボイス

本日“肥後橋”ラテン専科です。
ご参加くださる皆さん、ありがとうございます。

翌日が、快刀乱麻ワークショップなんで
“東京”からの参加もあります。

ふふふ・・
楽しみです。

ただいま、またまた
新フォーカスで、ダンス、開発中。
面白いです。
人間の進化って、止まらないんだよなぁ。
「変わりたいのに、変わらない」
なんて、ない!
要は“路線”を間違えない、こと。
自分の弱点を見逃さないこと、です。

さて、
“夏祭り”の前日、開催されました
ユニコン(日本ユニバーサルダンス協会・コンベンション)の記事
がアップされてます。

 

 

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2020-07-23 | Posted in エッセイNo Comments » 
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