エッセイ

2020-01-30
(第4756話)チョット中休み エッセイvol.137 続・とんでもなく嘘のような、どこまでも本当の話(27)~「見えない魔法」は目だけじゃない!~

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前回の続き。

「見たくないモノが、たくさんあって、
それらを見ないように努めた結果
“見る力”が衰えてしまった」

「見たくないから、見ないように、した。
その結果、実際に、見えなくなった」

その対象が、自分である!??!

ソンナコンナな真実を、re-Treat(リトリート)で知ったとき、
ワタシは、そーいう「見なくなった理由」の部分には、
驚かなかったんだ。
めっちゃ、納得、した。

誰だって、
見たくない自分、隠したい自分、
認めたくない自分って、たくさんあるだろうもん。
そんでもって
「誰かをジャッジするときは、
見たくない自分の“投影”である」
とか
「見たくないと思っている自分こそが、本当に見るべき自分」
てな、心理学的なモロモロについても、知っていたし、ね。
自分を“見る”ってことの、奥深さ、
神聖さには、気づいては、いたんだな。

でもね、それって、
あくまで「暗喩(あんゆ)」だと思っていたんだ。
どういうことかというと、
「見たくない自分には、蓋(ふた)をしている」
なぁんて言葉としてはあっても、実際には、
フツーに見えていると思っていた・・・
それが、現象として
“本当に”見えなくなっていたなんて!?!?
ものすごく“制限”をかけられていたなんて!??!?
コレが、衝撃的だったんだ。

「見たくないなら、見えないように、してあげよう」
もはや“魔法”のような
人体機能の物凄さに、ショックを受けたんだな。

さらなる、超・衝撃は
この
「見たくないなら、見えないように、してあげよう」
という魔法が、目だけでないこと、だった。
目に魔法がかかるときは、一緒に、
いくつかの部位にも(魔法が)かかるってこと。

「聞きたくないなら、聞こえないように、してあげよう」
「しゃべりたくないなら、しゃべらないように、してあげよう」
「立ちたくないなら、立てないように、してあげよう」
「手を使いたくないなら、使えないように、してあげよう」

わわわ!
書いているだけで、ゾクゾク、ザワザワしてきたぞ(汗)

でも、本当なんだ。

目の場合と同様、
聞こえているし、しゃべれているし、
立てているし、手を使えている。
が、ものすごい“制限”をかけられているってわけ。

もちろん、このような
超・衝撃真実を知ったのも、
re-Treat(リトリート)を通してだった。
re-Treat(リトリート)によって、
目の魔法が解けた人は、
同時に、他の魔法も解けてしまうからだ。

“見える”ようになった人は、
聞こえるようになる、
しっかり、話せるようになる・・・という具合。
声が、変わる。
いわゆる“オーセンティック・ボイス”を取り戻すんだ。
(第4425話参照)
立ち方も一変する。
軸が、スーッ。
カラダから力みがなくなり、
手の力が抜け、使える手になるんだ。

興味深いのは
魔法が解けた人の、存在の変化だ。
大変身してしまうんだ。
美オーラに包まれ、非常に綺麗&カッコよくなる。
なんともいえない柔和な、いい笑顔も、特徴的だ。
目がキラキラ
瞳に、少女漫画のような星が輝く・・・

ん?
質問?
どうぞ。

なぜ、目と同時に、耳、口にまで
魔法がかかってしまうのですか?
それから・・・
re-Treat(リトリート)を受けて、魔法が解けた人は、
ずーっと、その状態を維持できるのですか?

いい質問ね・・・

 

ミニ・ミニ ボイス

“神楽坂”ラテン専科終了!
ご参加くださった皆さん、ありがとうございました。

「長い脚で踊るのヨォ〜」
てな、アドバイスで、激変。
「え〜!?こんなに長いノォ〜?」
の声。
はい。
肩甲骨から脚です!
シャント周辺がメッチャ綺麗に決まって感動しました。
楽しかったねぇ。
「真実の脚を使う」時代、本格・幕開けです。
ありがと。

 

 

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2020-01-30 | Posted in エッセイNo Comments » 
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